好きなことを好きなやつらと
好きな場所でやっていたいです

昨今話題のCBDを自らのフィルターを通してプロデュースするWANDA。彼が手がけるPASOとCBD MOTELは感度の高い人々から絶大なる支持を獲得しており、今注目のニューウェーブである。

ーまずはルーツについて教えてください。

WANDA(以下W):今と昔で比べるとスタイルはまるで変わってしまっているのですが、僕のルーツはサッカーで、5歳から大学を卒業する22歳までプロの選手を目指していました。そこから、あるきっかけでサッカー自体を引退するこになりまして、価値観や考え方がどんどん変化していったんですよ。

 

ーWANDAという名前はいつ頃から使っているのでしょうか?

WANDA(ワンダ)はサッカーを始めた5歳の時にチームメートからニックネームとして呼ばれたことがきっかけで、今でも気に入って使い続けています。本名は和田ケントなんですけど、僕の下の名前を知らない人のほうが多いくらいですね。そのくらいWANDAのほうが浸透している感じで。ただ実を言うと和田だからWANDAではなく、サッカーを始めた当時に大活躍していたサッカー選手のウェイン・ルーニーから来ていて、彼がワンダーボーイって言う風に呼ばれていたから、それでワンダ、WANDAってなりました。

 

ーそんなWANDAが変化していくきっかけとは一体何だったのですか?

基本的にサッカーが全てで育ってきて大学も同志社大学で部活漬けの毎日だったのですが、その時の同期や先輩がめちゃくちゃいい人たちで、自分の性格がいかにクズだったか気付かされましたね。すぐイライラしてキレちゃうタイプで本当にダサかったんですけど、そこから徐々にマシにはなっていったから、大学に入ったことで人間性の部分ではかなり変わったと思います。

 

ー同志社大学を選んだ理由はやはりサッカーで?

そうですね。プロを真剣に目指したいたので。ただ第一志望校ということではなかったのですが、受かった中から感覚で同志社大学を選びました。それで4年間フルでやり続けたのですが、大学では初めて自信を持ってプレーすることができたんですよ。それ以前も、幼少期から体が大きかったこともあり、トレセンや選抜とかに選ばれたりはしていたのですが、周りは本当に上手いやつらばっかりだったので自信があったかと言われればそうでもなく、むしろなんで選ばれているんだろうって感じでしたね。そんな状態で大学に入って、その当時可愛がってもらっていたコーチの人に、とにかく武器を作れって言われたんです。僕の場合はそれがヘディングだったので、元々備わっていたフィジカルもあいまって伸び代を相当感じました。初めての経験だったのですが、そこから自分の武器を持っておくことの大切さに気付かされて、今も何かそういった武器を持っている人と一緒に活動したいなって思います。

 

ー大学でサッカーを引退することになるのは怪我とかですか?

というよりも就職活動がきっかけでした。それまでは先ほども言ったようにサッカーが全てみたいな人生だったので、当然プロ選手になるつもりだったのですが、アルバイトもしたことがないくらい社会経験が無かったので、就職活動くらいはやってもいいかなって。けれども、スーツを着てバリバリにやるほどの気持ちはなかったので、とりあえず先輩の勧めで丸紅っていう商社の説明会に行ったんですよ。そしたらそこで聞いた話がかなり面白くて、それまで17年間思っていた気持ちが2時間くらいで一気に変わってしまって、商社マンになりたいってなったんです。その際に気づいたことが、僕はサッカーが好きでサッカーを続けていたっていうよりもサッカー選手になるっていうのを追いかけていたので、だったら商社マンとして海外とか色々飛び回って仕事してやろうってなりましたね。

ーなるほど。そこから大手総合商社に就職したということですか?

就職活動を開始して無事に大手総合商社の内定をもらえたのですが、入社してから4日で辞めることになってしまって…。色々と事情があって、簡単に言うとタイミングが悪かったとしか言いようがないのですが、それでも応援してくれていた周りの友達や家族を結果的に裏切る形になってしまったので相当落ち込みました。本当に自分が情けなかったですね。それから地元の広島県に帰ってどうしようかなって焦ったりもしたのですが、これはこれで何かのきっかけになるはずと気持ちを切り替えて、じゃあアメリカに行こうと決心したんですよ。元々HIP HOPも好きだしアメリカのカルチャーにも興味があったので、このタイミングしかないかなって直感的にピンときた感じでした。

ーそれはいつ頃ですか?

大手総合商社を退社したその翌年だったので23歳ですね。全く英語は喋れなかったのですが、ちゃんと語学学習の目標設定をしてアメリカのサンディエゴに行きました。しかし現実はそう簡単ではなくて、英語ができるようになるためにはとにかく友達が必要だから、段ボールに“Can you be my friend=友達になってくれって”書いて、大学のキャンパス内で5時間くらいひたすら立つみたいな(笑)もちろん語学学校や現地の大学にも通っていたのですが、授業に出てっていうよりもリアルな英語が学びたかったんですよ。そこから面白がって話しかけてくるやつもいて、色々と繋がっていきました。結果的に1年くらいしかいなかったのですが、かなり英語は上達しましたね。

ーそれからは日本で仕事をすることになる?

戻ってきてから就職活動を再びして双日という商社に内定をもらえていたのですが、またまた内定取り消しになってしまいました。これも大手総合商社の時の噂が1人歩きしていてことが原因だったみたいなんですが、この時は前回の経験もあったので大して食らわず、すぐに違った動きになりましたね。正直それまでの自分とは違った人間になっていたので、お金や名声よりも仲間や家族の愛が大事だったんです。好きなことを好きなやつと好きな場所でやりたかった。そういう価値観になっていたんですよね。だからNYのブルックリンにあるKinfolkっていうセレクトショップとカフェ、クラブが一体になったお店に飛行機のチケットを取って行って、これの東京版をやらせてくれって直談判しに行きました。それでなぜかいいよって言ってもらえて、ビザの関係ですぐにはアメリカで働けないから、まずは日本で1年間就職することになったんですよ。それだったらKinfolkに活かせるアパレル業界かなと思い、そういった会社にとりあえず就職しました。

ーKinfolkはどうやって知ったのでしょうか?

大学生の時に友達からWANDA絶対ここ好きだよって教えてもらったことがきっかけで、それでサンディエゴにいた時も何回か遊びに行ってたんですよ。そこは本当の音好きが集まるイケてる空間でJay-ZやBeyonceが遊びに来たり、Peggy Gouが買い物したりしていて、これは絶対に僕が東京でやりたいと思っていたんですけど、その矢先にコロナの影響で閉店してしまったんです。

ー残念です。

こればっかりは仕方ないですね。ただ、コロナが完全に僕にとってマイナスだったかと言うとそうでもなく、むしろプラスなことのほうが多かった気がします。ワークスタイルの変化で自分と向き合う時間が増えて、本を読んだり自問自答をしたりインプットがかなりできたんですよ。それに嫁と結婚して娘が産まれてっていうのも、自粛期間があったからこそ今の状態になれた気もするので、いい方向に行きましたね。

ー家庭を持ってから心境などに変化はありましたか?

やっぱりベイビーへの愛って言葉では表現できないくらい尋常じゃないんですよ。それは娘が産まれてきてから気づけたことなんですが、それまではやっぱり男としては不安で、この年齢で父親になったら動きづらくなっちゃうなとか思ったりもしたんですが、全然そんなことはなくて。むしろ前より感覚が鋭くなったし、無駄がなくなりましたね。だからと言って欲しいものとか遊びを我慢しているわけではなく、むしろもっと稼いでやろう、自分の時間を有効に使おうってなりました。その中で嫁や娘と過ごす時間をいかに大切にするか、めちゃくちゃ一緒に時間を共有していきたいんですよ。そういう姿を周りの同世代に見せていきたいですし、それが恩返しにもなるかなって思っていますね。

ー現在行っているPASOというCBDブランドのディレクターはどういった経緯でスタートしたのでしょうか?

好きなことをやりたいっていう部分にリンクするのですが、そもそもヘンプカルチャーは興味があってこれから発展していく分野ってこともありましたね。それでCBDも含めた複合的なセレクトショップをPARCOでやって欲しいっていう話がたまたま舞い込んできて、だったらそっちも一緒にやってやろうと思い、PASOとCBDセレクトショップのCBD MOTELのディレクターっていう形で携わらせてもらっています。それだからCBD商品は他のメーカーもよく見ているのですが、個人的にはやはりPASOがめちゃくちゃいいですね。他のブランドさんとは一線を画したポジションを確立していて、それを日本でも見せかたは変えてやれている実感があります。

 

 

ー他のブランドとPASOの違いを具体的に教えてください。

CBDは大麻由来の物なのでどうしても日本だとハードルが高く、あえてクリーンな打ち出しかたをしているブランドがほとんどなのですが、PASOはカルチャーに寄せた展開をしていてジャケのデザイン性もかなり凝っているんですよ。もちろん品質も最高によくて、そもそもはイギリスでコンサルとかをやっていた2人組が一念発起してアメリカで医療大麻を1から学んで立ち上げたブランドだということもあり、信頼性も高いですね。ただ、本国はトリッピーな感じが全面に出過ぎていて、これだと日本では、特に初心者のかたにとっては受け入れられなそうだから、その辺は僕の感度でコントロールしています。それに商品だけを売るっていうことではなく、カルチャーとしてCBDに合う音楽やポップアップをやる空間までもを含めて提案していて、まずはブランドのファンになってもらいたいんですよ。

 

 

ー普段は店頭にも立たれているということですが、仕事をするうえで大切にしている習慣はありますか?

僕の場合はルーティンとかはないんですけど、自分がワクワクするって思えたことにどれだけ早く取り組むか、その辺のスピード感は大切にしています。

 

 

ーそうするとSNSも大事なツールですよね?

そうですね。PASOとCBD MOTELのディレクター、それから家族がいるっていう立場で自分の動きをどう伝えるか。それがSNSだと思っています。前はくだらないこととかばっかりで、ほとんど何も考えていなかったのですが、今はブランディングとしてWANDA面白い動きをしているなっていうのが分かるように工夫して載せていますね。それでも僕らしさみたいなのは残していますし、あまりカッコつけすぎないように今でもしょうもないことも発信します(笑)

 

ーありがとうございます。最後に1年後と3年後、10年後のWANDAさんのビジョンについて教えてください。

まずは1年後にPASOでポップアップだけでなくイベントをやりたいですね。それこそDJがいて出店があって、お祭りのような雰囲気でやりたいんですよ。それから3年後は30歳なのでKinfolkの東京版をやっていたいですね。CBD関連のハイセンスなショップみたいな感じで、複合的な空間を作りたいです。そして10年後はその空間から何かクリエイティブなムーブメントや作品が生まれるような場所にしておきたいですね。とにかく1年後も3年後も10年後も、好きなことを好きなやつらと好きな場所でやっていたいです。それで周りの仲間や家族が刺激を受けてくれていたらさらに嬉しいじゃないですか。

プロフィール

WANDA(ワンダ)

常時10ブランド以上のCBDプロダクトを展開し、CBDオイルやCBD VAPE、CBDグミ、そしてCBDコスメなどの商品を提案するCBD MOTELを立ち上げ、海外発のCBDブランドであるPASOを日本でプロデュースし販売を行う。学生時代にはプロサッカー選手を目指し、引退後は数々の挫折を味わいながらも自らの見識と行動力で現在のポジションを獲得する。

PASO

ロンドンを拠点とする「味」,「質」,「美」を追求したCBDウェルネスブランド PASO。

PASOは人々が日々の忙しい生活の中で息抜きをし、リラックスする時間をもっと作れるように。また世界中の人々が自然体で健康であり、幸せな生活を送ることができるようにインスパイアをし、エネルギーを与えることを目的に、植物ベースの治療効果を持つ製品開発を進めるリラクゼーションブランドです。PASOは最高品質の天然由来ヘンプ製品を提供することで、現代の人々の悪い習慣から健康への橋架けをし、人々のサポートを実現します。